人生を賭けて取り組んでいるものに惹かれてしまう


先日、共通の友達つながりのメンバー8人で伊豆にある羅漢さんへお邪魔しました。
 
秋にお邪魔した時は少し寒かった気がしますが、今回はもうすっかり初夏の景色で、忙しくしている日常を忘れさせてくれる、とても有意義な研修旅行になりました。
 
前は車で向かったのですが、今回は新幹線とレンタカーで現地まで。名古屋からだと実際かかる時間はそんなに変わらなくて、運転しているほうが楽な気もしたので次回は車でまた行こうかなと思いました。
 
今三重県の古民家を少しずつ補修していて、僕が将来的に実現したいものが羅漢さんにはあります。
その雰囲気って急に作れるものではないし、もっと色々とやらなきゃいけないこともたくさんあるので、気長に三重県のプロジェクトは取り組んでいるのですが、やっぱり考えている事とかも変わって来たりするし、軌道修正しないといけないこともたくさん出て来ます。
 
その時に自分のフィールド以外に身を置いて、客観的に自分たちを捉えてまた進んでいくプロセスはとても大切。人の話に耳を澄ませ、自分の心と対話する時間は、いろいろな区切りのタイミングでとても大切にしないといけないなぁと思っています。
 

さて、僕の中で「いいお店」ってこんな感じかなとか、いつも考えていることがあるのですが、羅漢さんはお料理以外にもホスピタリティの部分がそれはもうすごくて、起承転結というか、食べるというプロセスにストーリーがあって、最後は終わりをちゃんと意識させてもらえる空気感がある。
 
デザート、コーヒーで締めが分かるんじゃないかとか、そういう次元でなくて、「さあ、帰ろうかな」と思えるあの演出は、その空間に身を置いたものにしかわからない。目指している仕組みのこととか、色々とデザインしていきたいと思っているプロセスが、そこにはすでに在ります。だから「実現は可能なんだ」と勇気をもらって帰途に着くことができます。
 
小さいスマートフォンの画面には、スケール感とか、匂いとか、音とか、全てを閉じ込めることができない。VRはそういうものを超えていくために研究されていると思うけど、眺めることと、身を置くことは明確に違う。
 
この部分は難しいけど、ただ美術館で美しいアートを見る、素晴らしい場所を旅すればいいという話でもなくて、街の食堂でも、コンビニでも、ミシュランの星付きレストランでも、どんな場所でも学びがあります。
 
ちょっと脱線しますが、例えばグルメブロガーなどの記事は食べ物の内容だけにフォーカスしていることが多くて、それだけではお店の魅力は正直わからない。
 
働いている人の人生のストーリーとか、おいしさとか、煩わしさとか、そういうものを全部ひっくるめて「応援したい」と思えるかが大事で、そういうのは行ってみないとわからない部分だから、やっぱり普段から勝手にこちらの都合の良いようにフィルターをかけるのではなくて、ストレートに受け入れられる心の余裕が必要だなぁと思う。
 
どんなアウトプットでも、人生を賭けて取り組んでいるものって、その人の「生きたい」っていうエネルギーを感じます。
僕はそういうものに心を動かされるし、そのエネルギーがみんなの気持ちを豊かにするものだと信じています。
 
もっとエネルギーを発信する側になりたいから、もっと頑張っていきたいなぁと思います。

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