見ている景色の話

先日、毎年やらせて頂いている「slow fiber studios」のランチケータリングが無事終了しました。
毎年思う事ですが、これが終わると「こどもハッピーライブ」の出店があって、それが終わると梅雨に入り夏が来るなぁという気持ちになります。
 
さて、会社設立4年目。とてもありがたいことに色々やらせてもらえる今のこの環境。10年前に「そうなっているといいなぁ」と想い描いていた環境にだんだんとなってきたなぁ、という実感がなんとなくですがあります。どう想い描いていたのかは、たくさんありすぎて書ききれないのでやめておきますが、続けてきてよかったなと思います。今回はケータリングが一段落したので、そのケータリングの事を時系列でちょっと振り返ってみたいなと思ってこの記事を書いています。良かったら読んでもらえると嬉しいです。
 
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僕らのケータリングは2006年7月15日にスタートしました。ということは今から約9年前です。当時住んでいた緑区の自宅で高校の同級生3人でスタートしました。ちょっと部屋が汚いので恥ずかしいですが、せっかく写真が残っていたので載せてみました。お酒の瓶がたくさんあります。当時は家ですごくたくさん飲み会をしていた気がします。
 
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最初のお客さんは「co2works」さん。今は名東区で事務所を構えられていますが、当時は西区にありました。
 
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当時は燻製にはまっていたので、ことあるごとにスモークをもくもくしていました。これをみて今度またやろうかなとちょっと思いました。
 
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さて、あれから9年。海外のゲストに料理を出している事は正直想像していませんでした。当時はただ料理を作りたいという一心から、なんでも出来る事をやっていました。今みたいにコンセプトや、食材に対する想いとか、そこまで考えられなかったです。でもゲストに喜んでもらいたいというまっすぐな気持ちはみんなで共有していました。
 
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写真の見せ方も9年前より上手になりました。食材の扱い方も当時よりも上手になりました。
 
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食材の事、料理の事、食べ合わせの事、見た目の事、ゲストの好み、お皿の事、クロスの事、お土産の事、流す音楽の事、そしてこれからの事。関わってくるたくさんの事を考えるようになりました。
 
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実はこのケータリングを始めた9年前の更に1年前。僕はレストランで働いていました。夢を持って経理マンとして働いていた会社を辞めて、飲食業に飛び込みました。最初は何でも新鮮で楽しかったのですが、業績が悪い会社だったので入社1ヶ月後から給料は支払われなくなり、会社は家賃を滞納するようになり、仕入先に代金を払えなくなり、アルバイトの子たちに給料を払えなくなりました。
 
それでも睡眠時間を削って一日20時間くらい働いていました。
こんな理不尽な事は、会社にいる時は考えられませんでした。働かせてもらっていた会社の素晴らしさをその時に初めて知りました。毎月給料が振り込まれて、ボーナスがあって、昼食代は補助してくれて、慰安旅行に連れて行ってもらって。
理不尽さを知って、前職の良いところを数えきれないくらい言えるようになりました。もっと早く気がついていたら良かったのに、とも思いました。
 
人はまっすぐな姿勢に共感してくれて、その姿勢を見て再びチャンスを与えてくれるものだと思います。本当に恐れないといけない事は「失敗する事」でなくて、「チャンスを与えてもらえない事」だと思います。
だから終わっても「もっとこうしたかったなぁ」という気持ちが湧いてきて、達成感よりも次のことで頭が一杯になります。だから正直すごく疲れます。でも仕方がないことだと思っています。それが一番ベストだと思うからです。
 
人はすぐに結果を求めたり、見返りを求めたり、期待するレスポンスがないと「分かってくれない」とかマイナスな気持ちになってしまいます。確かに努力が報われるのが一番いいことです。でもそんなに世の中って甘くないですし、とても理不尽です。そんなとき無意識にfacebook繋がって安心したり、sns上でどうにもならない事を言ってみたり、そういう事をしたくなる欲求が誰にでもあると思います。でも、その「フラストレーション」は実際の社会生活の中で発生したもの。それを発散するには、同じ社会生活で変化を起こす事でしか解消されないと思います。行動でしか変われないと思います。
 
見ている景色の違いは、前を見ているか、それとも後ろを見ているかの違い。
僕は少しでも前を見ている生き方をしたいと思っています。
 
それが自分が思っていた事や、想像もしていなかったモノゴトに繋がる唯一の道だと思います。

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