地域と高校が協働することは、これからの街づくりに繋がっている

昨日は飯南高校を訪問して、午前中は地域の人と高校生が1対1で話をする「トークフォークダンス」、午後は飯南高校の活性化協議会兼学校運営協議会に参加させていただきました。

この1年間、地域おこし協力隊という立場で飯南高校の生徒と関わる機会が非常に増えたことで、学校の教育が変わろうとしていることや、小規模高校が活性化に向けて課題に取り組んでいることが少しずつ理解できるようになりました。

地域から学校が無くなると公共交通機関が無くなるとか、街が衰退してしまうから「学校を存続してほしい」という話はよく聞きますが、そもそも学校は教育のための手段だし、生徒は地域のインフラ維持のための手段であってはならないと思います。

そこの部分からも私たち地域に住む人間がどうやって「教育」と「地域」をうまく絡めていくかという「編集力」や「コンセプト」は非常に重要になってくると考えています。

活動に必ずついてくる「メリット」の話

ボランティア活動や地域活動に関わると、何かしらの「メリット」がないと「わざわざやってあげている」という気持ちが芽生えた事って誰でも一度くらいあると思います。
僕も地域が学校に関わっていく理由を考えた時に、「税金では賄えない部分を地域が負担させようとしているのか?」とか、財政的な理由もあるのかなと色々と考えました。でもその考え方だと「学校が地域に頭を下げる」、「地域が学びを提供してあげる」という目に見えない「主従関係」のようなものが生まれてしまい、「連携」という形を取るのは難しいのではないのかと感じました。

この関係性は地域と行政でも同じようなことがあって、「税金を払っているのは俺たちだから俺たちが上」のような変な関係性が生まれてしまい、全てのことを自分で見えている都合の良い経済価値に換算して判断してしまうわかりやすい例だと思います。

身の回りを見ていると人が生きていく為の資産というのは必ずしも「お金」など分かりやすい形をしているわけではありません。学校が地域から学びを提供してもらう場合、「地域にとっての経済メリットは?」という考え方をするのではなくて、一つのビジョンに向かって一緒に活動しているイメージができると、地域と学校の連携はとてもスムーズに機能し始めるのだと感じています。

こどもの未来を考えることの大切は学校も地域も同じ

地域で若い子供たちが活躍できるということは、「将来の担い手を育てる」意味としてもとても重要なことだし、今はその育てるという役割を「学校」が専門的に担っている。

学校に地域の人たちが緩やかに関わることで、子供たちも意識せず地域社会に入ることができる。地域と学校の境目を曖昧にしていくことで、子供たちが社会に関わりやすくなることは、きっと地域にとっても大切なことだと思います。

そう考えていくと、実は地域と学校のミッションは同じで、協力していくことでのシナジー効果を生み出していくことの大切さを僕自身がとても理解できるようになりました。

その成果もあり、去年から高校を卒業した子供たちと一緒に具体的なアクションを起こし始めています。これは数年前から高校と地域が連携していた恩恵だと感じています。

半分は自分のこと、半分は人のこと

これまでに人々が繋いできた「文化や想い」をなぜ大切にしていかなければいけないかというと、それは僕たちが知らない間にその想いや恩恵を受けて育ってきているから。人から貰ったことをまた違う人に渡していく行為は、人間は今までずっと色々と形を変えて続けてきたこと。全て昔のスタイルという意味ではなくて、この「受け取り、渡していく」を続けるには、「半分は自分のこと、半分は人のこと」を考えながら行動しないと実現できません。

この想いを忘れずこれからも色々なフィールドで活動していきたいと思います。

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