かつて集落があった理由を考えてみたいと思った

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三重県の山奥にたくさんの限界集落があります。
かつては人々で賑わっていた村も、今では数人しか住んでいないという場所です。産業が発展したという背景があるのは勿論分かるのですが、それ以前の村というのはどんなものだったのか、そういう事に興味があります。だから実際に行って確かめたいと思いました。
 
さて、僕は小学校1年生まで青森県弘前市に住んでいました。10分車で走るとリンゴ畑が見えるような場所でした。だから何となく田舎の魅力は分かるというか、懐かしいというか、田舎での生活は身体に染み付いているのかも知れません。僕の両親は「今は名古屋に住んでいるけどそのうち田舎暮らしがしたい。」と話していました。それはある意味、村人が都会へ稼ぎに出かけ、その必要性が無くなるとまた村に戻るという、合理的なサイクルかなと考えたりもしていました。
 
僕たちはスマートフォンやパソコンなどテクノロジーを駆使して色々な仕事をしています。リアルタイムコミュニケーションで新しい取り組みをどんどん行い、新しい価値を生み出しているのは事実だし、それが必要なのも分かります。
でも、便利になったはずなのに忙しくなるばかりな気がしてなりません。何の為のツールなのか、誰の為のテクノロジーなんだろうか、本当に色々考えてしまう毎日です。
 
僕は、ITやテクノロジーは人が豊かになるツールとして使いこなせたらいいなといつも思っています。都会と地域を繋いで心豊かに安心して暮らせるコミュニケーションを作ったり、流行に流されてファーマーになるのではなくて、もっと広い意味での都会と田舎の関係性を考えて行きたいと思っています。
 
まだ若いと言われるかも知れませんが、僕も36歳になって体力がどんどん衰えて行くことを感じています。たぶんそのうち都会のスピード感についていけなくなるタイミングがどこかで来ると思っています。その時にもう少しスローな生活が出来る田舎があれば、そしてその田舎での活動によって都会で生活する人々のサポートが出来る仕組みになっていれば、一番いいなぁと思っています。
 
三重県の山奥に家族のための拠点が出来る事になりました。
これからそこに住む人たちと都会との接点を作る仕事を作り出したいと思っています。だから都会で稼いだ時間やお金を田舎に投資して、僕の帰る場所をそこに作って行きたいと思っています。
 
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これから、この場所を使ってそんな田舎での活動をまとめて行きたいと思っています。それを読んでくれる方たちが何を感じるかはその方たち次第。少しでもこれからの暮らしのヒントになれば幸いです。
最後に。三重県の記事をアップした時に「いつ引っ越しするんですか?」と色々な方に聞かれましたが、拠点はこれからも基本的に名古屋ですので、色々なプロジェクトにも参加させて頂けると嬉しいなと思っています。
これからもどうぞよろしくお願い致します。

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