変わらなければいけないという風潮に、あえて飛び込めるか。


コロナ禍が続き、ステイホームを経験して、自粛警察という新しい言葉が生まれた。僕たちは今まで経験したことのない半年を過ごした。通勤電車はより悪になり、公共交通機関を避けて、郊外に拠点を移す人も多いそうだ。
 
秋になると倒産企業が増加して、見せかけのコロナ感染者が増加して不安を煽られ、より世の中が暗くなることが予想される。そのまま働けるのか不安を煽られて「どうすれば良いのか」という心配事が頭の中をグルグルしている人がきっと多いはずだ。
 
でも考えてみると、僕の普段の仕事だってきっと業界的な寿命のようなものがあって、同じことをずっと続けているだけではきっと業界から蹴り出される日が来るのだと思っていて、それが今回のコロナのような外的要因なのか僕の年齢が要因なのか。遅かれ早かれいつかそのときが来るのだと思う。おじいちゃんが若者と同じ格好をしても「なんとなく決定的に違う」と思うように。
 
変わらなければいけないのは、コロナのせいじゃなくて、僕も含めた全てのものが常に変化をしているからだ。満員電車をやめてテレワークをするということは世の中の変化の一握りで、たぶんもっと色々なものが変化している。その変化について行けなくなったら、これからの世の中に新しい価値を生み出していきたいと思っている僕は、今の仕事を卒業しないといけないのだ。
 
世の中には「自分でなんとか変えられるもの」と「自分ではなんともならないもの」の2つの事があって、自分でなんともならないものについて何とかしようと考えるのは無駄だ。だからこそ今の現状を踏まえて「自分ができること」を考えるしかなくて、これは誰かが導いてくれるわけではなくて、自分自身で考えないといけないこと。未来のことは誰も分からないのだから、生きるということは常に「伸るか反るか」のような決断だ。
 
僕は少しでも状況が変わるようにと、色々なことにチャレンジしている。これから来るであろう世の中のゴタゴタに少しでも前向きに立ち向かっていけるように。

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