満たされている

2018年8月4日 at 06:43


前に買ったイタリアの骨董皿。
いなべで風くんが育てて届けてくれる芋やごぼうは少し蒸して、ゴルゴンゾーラをソースにした。
あとは鳥取のタルマーリで買って来たパンとビール、その他少し。
 
これはこの前、urauraの山本さんと週末仕事終わり(日曜日の夜)に食事ミーティングをした時のメニュー。
前はもっとたくさん料理をした気がするけど、最近は蒸す、焼くだけのシンプルな料理が好きだ。
 
大人になると、だんだんと買いたいものが無くなって来ている気がする。それは多分欲しいものを段々と手に入れてしまって欲しいものが少なくなってくるからだと思う。
 
人の欲は底なしだと言うけれど、自分の終着点が見え始めると、自分の受け入れられるキャパも分かってくる。
だから溢れないように、ちょうど良いところで止めておきたいと思うようになる。
 
多分底なしなのは、隣の芝の青さに目が眩んでいるだけで、自分と向き合うと以外にキャパは分かってくる。自分は自分のスケールを超えることはできない。
 
前にも書いたけど、自分のことだけをやるには時間が余りすぎる。
だから大人になると、自分以外のことをみんなやり始めるのかもしれない。ただ、自分以外のことを何かやるには時間が足りない。なかなかバランスは取れそうで取れない。
 
いま、仕事以外でどうしても達成したいあることに取り組んでいる。
達成したらここに書こうと思う。
 
若い頃のように気力も体力も持続することは無いと、最近になって気がつく。
だから要領よくやったり、やらないことを見つけたりする必要が出てくる。でもそれは気がついてから考えればいいことでもあると、最近気がついた。
 
捨てるものが見つかった時、本当に捨てていいものか、持っていくべきものかの判断はとても大切だ。抱えきれなくなって重たそうに歩いているのを見ると、やっぱりそれは正しい判断ではないと感じる。
 
好きなことだけしたいと心がけても、好きなことの中から嫌いなことを見つけないといけなくなる。
満たされたいなら、満たされない気持ちを知らないと、満たされる本当の気持ちが理解できない。だから嫌なことでも真正面から受けとめなければ、心は満たされない。逃げの人生がダメだという理由は、多分こういうところにあるんだろうと思う。
 
僕の生活は色々なことに関わりながら、頭が疲れてしまうこともあって、いつもストレスフルだけど、ある意味それは満たされているんだとふと気がつく。
ちゃんと、やりたいことができている。