39歳の僕の平成感

2019年5月1日 at 05:55


30年あまり続いた平成時代が終わって、新しい時代になった。
子供の頃、明治時代に生まれた人に会うと遠い昔の話だと感じたけど、これから生まれてくる子供たちから見ると僕らもそう見えるのかなと、少し不思議な感覚。
 
昭和天皇崩御のニュースを見た時に、子供心に「何がどうなるんだろう」と不安を覚えたことを記憶していて、僕の平成は不安から始まった。中学校の頃に起きた阪神大震災、地下鉄サリン事件、就職超氷河期、そして東日本大震災。
 
私たちは戦争経験者ではないかもしれないけど、たくさんの不安な出来事に直面しながらも、前を向いて進んできた強い世代だ。皮肉なことに、不安というものを知っているからこそ、安心というものが何かを知ることができた。だから今、こうして静かな部屋の中でペンを執れるということは、色々あったけどそれなりに充実した平成時代を過ごしてこれた証だと思う。
 
多分色々な人たちのたくさんの努力があったからこそ、争いのないこの平和な時代を過ごすことができたんだと思う。
 
ちょうど20年前に、僕は高校を卒業して就職した。今頃は社内の研修が終わってひと段落していた頃。休みと言えば仕事のことも忘れて遊んでいた。その時に一番考えていたことは車が欲しいということだったと思う。試験勉強をやらなくてもいい、学校に行かなくてもいいという引き換えに、休みが少なくなって、給料も学生時代に想像していたよりも全然貰えないなぁと思っていた。毎年の昇給も少しだけで、今思えばあの頃から年功序列という仕組み自体が無くなり始めていた。
 
若い子たちよりも僕たち世代の方が「SNS映え」に敏感な気がするけど、それはやっぱり日常の不安や苦労の吐け口は「充実している」と外に振り撒き「共感」してもらうことで、少しでも不安な気持ちを少なくしたいと無意識に願ったからなのかもしれない。そんな気持ちは、その時代を過ごしてきた人たちにしかわからないことなのかもしれないけど、やっぱり僕たちの平成ってそんな時代だった気がする。
 
良いか悪いかを判断するのは今でなくても良い気がする。
最期に報われたと思うのかも知れないし、その終わりの日は人によって違う。だから、他人をコントロールしようとするではなく、他人の目ばかりを気にして他人の時間を生きるのではなく、自分で考えた自分の時間を生きて、後悔しても納得できる時間を過ごしたい。
 
そして争いに勝つために強くなるのではなく、争わないためにもっと強くなりたい。そして強くなることで優しくなりたい。大変な時代だったからこそ、次の時代は幸せを願いたい。