価値と効率を、同じ天秤にかけない


今週の金曜日から、アメリカにあるオクラホマ州を訪問します。
 
2年前にSNSでの出会いから始まった、アメリカに住むファミリーの家族探しのお手伝いも、そろそろ一旦終わりを迎えそうです。
日本にいる僕が出来ることを全部やってみようと思い、色々なことを調べたり、足を運んだり、時間を使ってきました。何かを探すというのは子供の頃にやっていた「宝探し」のようで、分からないことが分かる様になると、なんだかワクワクしてくる。振り返ってみるととても楽しい時間でした。
 
この活動を記録に残しておきたいと思って、ブログやSNSで発信をしていていると、何度か色々な方に「何のメリットがあってやっているの?」とか、「儲からないのになんでそんなことをやっているの?」と聞かれることがありました。やっぱりそういう風に問われると僕自身も「何でだろうか?」と考えるのですが、結局考えれば考えるほど「僕にできそうなことがあったから、協力してみたい」と思ったからという単純な想いでした。
 

大人になると忘れる純粋な心

 
社会人になると不思議なもので、ゴールを決めて行動するのが当たり前、経済を回さないといけない、効率化が大事、不便よりも便利、利益にならないならやる必要はない。身の回りではこんな言葉が溢れかえり、いつの間にかそれが世の中のルールだと錯覚するようになる。
 
クワガタを採ったり、どろじゅん(けいどろ)やったり、心霊スポットいったり、探検に出かけたり。小さな頃、僕たちは探究心の塊でした。それが教育を受けて社会に出て、生計を自らが立てる様になると、いつのまにか探究心を失ってしまう。危ない橋を渡らないようにするのが常識になってしまう。
 

価値と効率を、同じ天秤にかけない

 
価値のある何かをやっている時、それをやっている自分自身を見ることなんてできないから、本人は何だかピンとこないかも知れないけど、振り返ってみると大変だったとか、めちゃくちゃだったとか、価値のあった事ってなんかいい想い出になっていたりする。
 
だから今大変だと思っても深刻に考えなくてもいい。大変なことは大変だと受け止めればいいし、意味なんて後からちゃんとついてくるから、やる意味なんて悩まなくてもいい。
 
人は思ったこと、やりたいことをやったほうがいい。経済的な価値と生きる上での価値なんてそもそも違うものなんだから、絶対に同じ天秤にかけてはいけない。自分の心が動くことを心の動くままに信じて、一歩進めばいい。
 
僕はもうちょっと歳をとった時に、「その頃の無茶も意外に楽しかったねぇ」と言える様になりたいと思っているから、自分自身の心に正直に生きていきたいと思います。
来週の今頃は行ったことのない場所へ。多分いい想い出になるんだろうと思っています。

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