地域おこし協力隊をやって良かったと思うこと

ちょうど1週間前、飯高町の波瀬地区で開催されたワンディカフェが無事終了しました。コロナ禍で何度も計画変更がされていく中で、気持ちも離れていきそうになりながらもなんとか開催されました。

前回同様たくさんの方にお越しいただき、やっとコロナも明けてくれるのかな?と思わせてくれるような賑わいでした。活動を通してたくさんの方にお会いして色々な話をしたりしながら、やっぱり人が集まる場所は必要だなぁと思いました。協力隊になり移住した頃には完全にコロナ禍に入っていたので、地域の祭りをまだきちんとみたことがありません。今年こそはたくさんの行事が開催されることを願っています。

これからの時代を生き抜くためのヒントが、このワンデイカフェに詰まっていた

ちょっとナイーブな話ですが、
これからは物価がどんどん上昇して、本当はそれに合わせて賃金なども上昇していけばいいのですが、色々なニュースを見ているとどうやらそんな感じではないようです。少子高齢化時代に社会保障の負担額も増加して、ますます僕たちの生活は大変になることが予想されます。もうすでに目に見える部分でそうなってきています。

あまりお金のことばかり言うのも好きではありませんが、お金があれば出来ることが増えるのは事実。ただ、お金だけで幸せになれるほど世の中はシンプルにできていない気もしています。

そんな中で幸せに生き抜くためにどうすればいいのか?といつも考えているのですが、そのヒントがイベントの中でたくさん発見することができました。何気ないことかもしれないけど、イベントを通じて色々な人と語らい、賄いのカレーをみんなで食べながら楽しくお茶を飲む。これこそが大切にしたい瞬間なのではないかと、ふと思いました。

なんとなく人々が集まって楽しく暮らすこと。ひょっとしたら50年前はこんなこと当たり前だったのかもしれないけど、現代においては一番難しくて尊いものなのではないかと感じたりします。

お金があれば楽しく生活できるなと思って、たくさん仕事をしてたくさん遊びたい。独立した10年前にはそう思っていました。生涯現役で仕事をすればいいと思って数年を過ごした後に、なんとなくメインストリームから外れていく先輩たちを側から眺めながら、僕が考えていたことは少し難しいのではないかと思うようになりました。

地方に移住しても良いかなと思った最大の理由は「都会で死ぬまで頑張れる自信が無くなった」ことでした。60歳になってもデザイナーとしてやっている姿が想像できませんでした。そして他に何をしていけば良いのかと思った時に、都会でやりたいことが見つかりませんでした。

地方に暮らすことで、コミュニティーの大切を再認識した

移住してからは、みんなが集まれる食堂やカフェを開いて毎日楽しく過ごしたいと思うようになりました。20年前にもカフェのオーナーになりたいと思っていましたが、当時の僕にはそのノウハウもないし、資金に目処を立たせることも勿論できないし、実際に先輩と一緒にカフェをやった時に大変だったことから、一度諦めていました。

先輩と一緒に過ごした店は毎月50万円の家賃を支払っていました。その家賃を払うのにコーヒーを何倍売ればいいのかと計算してしんどくなったことも何度かあります。やりたいことをする為に高い固定費を払い、固定費に縛られたことで「やりたかったこと」がいつのまにか「お金を払うためにやらねばならない」ことに変わってしまいました。

16年前の飲食経験がトラウマになっていましたが、そんなことなら、そうならないところで勝負すればいいと思い、再び食堂の立ち上げを行っています。実際に準備を進めていると「料理のレシピを教えてあげる」とか「働きたいから遊びに行って良いですか?」とか色々な方が声をかけてくれるようになりました。

たくさんの人たちで意思決定をする会社の仕事で「時間がもったいない」と思い独立して10年、大変なことも1人で抱え込んで生きてきた気がしますが、ここにきてみんなで何かをすることの大切さを考えるようになりました。自分で出来ることに限界も感じたし、それよりもみんなで何かをする方が楽しいなと、移住してから更に思うようになりました。

さて、今回のワンデイカフェは飯南高校の應援團Circleのみんなが手伝いに駆けつけてくれて、なんだかワイワイと楽しく店番をすることができました。

正直、自分がコロナウィルスに感染してしまうと色々な方に迷惑がかかるんじゃないか?と心配されている方もまだまだたくさんいると思います。でも修学旅行や文化祭、そして卒業式など、当たり前だと思っていた学生生活を過ごせない生徒たちがたくさんいるなかで、僕たち大人がどれだけたくさんの想い出を作ってあげられるか、と考える毎日。
ワンデイカフェが生徒たちにとって大切な思い出になっていたらいいなぁと感じています。

そして最後に。應援團Circleの顧問をしていた五十子先生が、ワンデイカフェの活動を持って應援團Circleの顧問と飯南高校を卒業されました。思えば夏くらいから一緒に活動を始めて、視察に一緒に行ったり、活動で時間をともにしたり、オンライン新年会で夜中遅くまで飲み会をしていたり、学校以外でもたくさんお世話になりました。飯南高校としての関係は終わりますが、これからも他の学校に行ってもまたみんなで活動できる日を楽しみにしています!

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