当たり前だったことが、当たり前じゃなくなった世代に、僕たち大人ができること

コロナ禍で学校に入学した高校生が今年3年生になりました。
僕たちが当たり前に過ごしてきた自由な高校生活とは程遠い、制約だらけの学生生活。大人になった僕たちは自分が学生だった頃のことなんて忘れてしまっているかもしれないけど、今の時代よりもっと自由でおおらかな時代でした。

今はスマホのビデオ通話で繋ぎっぱなしができるから、コンビニの前やファミレスで屯ろする若者はほとんどいなくなりました。約30年前、僕らの学生生活は「ポケットベル」を使って14字くらいの文字数でコミュニケーションを取っていました。限りがあるからなんか数字に意味を持たせたりいつも試行錯誤をしてました。

あれって一体なんだったのかなと思えるくらい今の時代はツールが発達して便利になりました。でも何か足りないものを満たすということ自体が「なんとなく成長している」感じがしていたし、「割と満たされてしまっている」現代では、普段の生活の中で「成長を感じるタイミング」を見つけにくく、つまらなく感じてしまうのかもしれません。特にコロナ禍になってからは色々と制限されてしまい、閉塞感が漂って大人の僕ですら苦しい毎日です。

この夏くらい、刺激的な学生生活を送って欲しい

この数年、僕たちはどこかに出かけるにも気を遣います。学校のイベントは変更とか延期とか中止とかもういいでしょ、とうんざりします。大人が子供の機会を握りつぶすのは簡単かもしれません。この年になってわかるけど、学生の3年間で学んだ一つ一つの経験が、大人になって大変な事に遭遇した時に、一歩踏み出す勇気になります。

多数決で決めると少子高齢化の時代には子供のことよりも人数の多い世代の意見が強くなる。でも本当にそれでいいのかな?自分のことばかり主張する大人で本当にいいのだろうか?今ここで一度「相手の立場」になって真剣に考えるタイミングに来ていると思います。

過去に仕事を通じて色々な学生たちと時間を過ごしてきました。仕事の体験を通じて大人の社会を知るきっかけになったり、有意義な時間を過ごした学生たちはみんな笑顔でした。学生生活では想い出ができることが当たり前だったのに、特に今の高校3年生はその機会を奪われている。

これだけ我慢したのだから、この夏くらい刺激的な学生生活を送って欲しい。

地域でできることは限られているかもしれないけど、高校生がやってみたいと思うことで僕が協力できることは協力してあげたいなと思うし、それが大人の役目だと思います。今の学生が置かれている立場を想像して、僕たちができることを考え、大人が具体的に行動することが、色々な人たちの明るい未来に繋がっているんだと思います。

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