想いは時として「届かない」所にまで届く。

2020年1月16日 at 12:44


昨日、札幌に向かいある家族に会ってきました。
 
数年前からアメリカに渡米した日本人の方の家族探しをしていた件で、日本のご家族からアメリカに電話でコンタクトがあり、やっと探していた家族が見つかった。その家族に会いに札幌へ。
 
色々な場所に問い合わせ、おそらくここだろうという住所を奇跡的に探し出して、アメリカに伝えた。
そしてアメリカからその住所に向けて手紙などを何度か送り、数ヶ月後に家族から連絡があった。
日本の家族とコンタクトを取りたいというアメリカからの想いは、ついに叶った。
 
「なぜ他人の家族にここまでしてくれたのですか?」
 
家族から一番最初に聞かれたこの質問の問いについて、正直今となっては理由も分からず、はっきりとした答えが自分でも分からない。
 
でも、僕がアメリカからメッセージを受け取り、家族探しの手伝いを始めて、やっと日本の家族とアメリカの家族が繋がった。そして2020年の正月、60年ぶりに兄弟がインターネットの画面を通じて再会できたことは、紛れもない事実だ。
 


 
▼もしも奇跡があるとしたら、きっとこういうことなんだろう。
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▼僕らは家族だ/We are the Family.
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住所がなんとなく分かった時に、アメリカから英語で手紙を送ると変な詐欺だと思われるかも知れないと思ったこともあった。でもアメリカ側はそういうコンタクト方法しか持ち合わせていないし、僕が急に日本の家族に変なコンタクトをして、家族を混乱させることもやっては行けないと思ったから、日本の家族から返事があるのを待つべきだとずっと思っていた。
 
家族の想いがきちんとストレートに伝わる事が大切だと思っていた。
 
仕事をしていると、ゴールを設定してその通りにプロジェクトをこなす事が求められる。そこに人の感情とかそういうものがあっても、やるべきことがあるだろうと粛々と進められる。たとえそれが「お金の為、名誉の為、地位の為、自分の為」とか、一方の理想だとしても、それを求められることがある。
 
それが良いかどうかは別として、
僕は自分だけの「合理的な理由」だけに全ての時間を使うより、せっかくなら自分以外の人の気持ちに寄り添って生きてみたいとも思っている。それが自分の知らない世界に自分を連れていける唯一の方法だと思うから。
 
アメリカから日本の家族に会いたいという想い。その想いが会ったこともない僕を動かしてついに願いが叶った。結局、僕はそこにたまたま居ただけだ。でも僕自身はこの経験から人の気持ちや想いをよく考えるきっかけになったし、普通に生きていたら絶対に見る事のない景色や人に出会い、みんなで喜びを共有している。
 
たとえ他人の家族の手助けだとしても、僕は色々な想いを受け取り、僕自身も救われている。
願うなら、前に進む大切さを教わった。例え叶わなくても、進まないよりはずっといい。痛かったと言えるのは一歩前に足を出した人だけだ。
 
僕はやらずに後悔するくらいなら転んだ方がいいと思っている。
僕は色々なきっかけをくれたこの出来事に感謝しているし、この繋がりは一生の想い出になると感じている。そしてもう一つ、叶えたいことを叶える努力をしたいと思う。