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みんなでどうやって楽しめるかを考える時代になって来た気がする。

2018年7月8日 at 16:03


先日、2日間かけて東京へ打ち合わせに出かけていた。
朝に少しだけ東京ミッドタウン日比谷へ出向き、ヒビヤセントラルマーケットなど色々と見て回る。昼一番の打ち合わせ自体はそんなにかからなかったので、打ち合わせ後はそのまま代官山や渋谷も見て回った。
 
正直どこを回っていても欲しいものが見つからず、割と名古屋から東京の出張も少なくないからか、変に「東京」というものに慣れてしまったのか、あまり買い物自体にワクワクすることも無くなってきた気がする。最近ほしいものがわからなくなってきた自分がここにいることに気がつく。
 
約20年前、僕が20歳くらいのころは、物欲の塊だった。
服が欲しい、靴が欲しい、バーでかっこよくお酒を飲みたい。みんながmixiをやりだして今みたいなSNSの基盤が出来てきた。誰かに「いいね」って言ってもらいたい世の中になったのもこれくらいの時期だった気がする。
そして、急速にパーソナルな情報が世の中に出始めて、テレビとか雑誌が購買に結びつかなくなった。
 
僕らがmixiをやり始めた頃に生まれた世代は、生活のなかにSNSが普通にあって、ファストファッションはトレンドを安く提供してくれて、音楽はストリーミングで好きなものを聞くことができて、車なんて必要なときにシェアすればよくて、そこそこ働けばそこそこ楽しむことができる。
 
こんな豊かで整った時代に、頑張って消費して経済を回せなんて言っても多分意味がわからない。
実際、僕だってわからないなと思い始めている。
 
手間暇かけた良さって絶対にある。コストをかけて楽しめるものもたくさんある。そこは否定しないし
でも整った不自由ない社会では、今までにはない楽しみ方だってたくさん生まれている。
出張で泊まった「Book & Bed TOKYO」で、働く側も泊まる側も分け隔てなく会話を楽しんでいる姿に「このくらい気楽な方がお互いにとっていいな」と、とても魅力的に感じた。前に渋谷にあるフグレンに行った時にもやっぱり同じことを感じた。スタッフが私服で気楽にサービスしている姿に、なんだか安心した。
 
日本のサービスレベルはとても高いと思う。
でも提供する側が無理してまでサービスをしなくてもいいと思う。
これはきっと提供する側の課題でなくて、提供される側がいかに寛容になれるかがポイントで、こうあるべきとか決めつけず受け入れられる余裕が、僕たちには必要なんだと思う。
 
サービスを受ける側、提供する側って区切ること自体がひょっとしたら時代に合っていないのかもしれない。
立場を超越して、みんなでどうやって楽しめるかを考える時代に差し掛かってきたのかな。
 
これからのデザイン事務所は「モノ」だけでなくて、「経験・体験」もデザインしていくのかなと、想像する。